千葉地方裁判所 昭和63年(ワ)981号 判決
原告(反訴被告)
高宮明子
被告(反訴原告)
並木通昭
被告
大正海上火災保険株式会社
主文
一 原告(反訴被告)の被告(反訴原告)並木通昭及び被告大正海上火災保険株式会社に対する各請求をいずれも棄却する。
二 原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)並木通昭に対し、金一七万九二四〇円及びこれに対する平成元年三月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、本訴、反訴を通じ原告(反訴被告)の負担とする。
四 この判決は、第二、第三項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
一 本訴関係
1 請求の趣旨
(一) 本訴被告並木通昭(反訴原告、以下「被告並木」という。)は、本訴原告(反訴被告、以下「原告」という。)に対し、金二二二万二四一五円及びこれに対する昭和六二年一二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 本訴被告大正海上火災保険株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告に対し、金二七万円及びこれに対する昭和六二年一二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(四) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
二 反訴関係
1 請求の趣旨
(一) 原告は、被告並木に対し、金一七万九二四〇円及びこれに対する平成元年三月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
(三) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 被告並木の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は被告並木の負担とする。
第二当事者双方の主張
一 本訴関係
1 請求原因
(一) 事故の発生
(1) 日時 昭和六二年一二月二五日午後三時ころ
(2) 場所 千葉市武石町一丁目三二〇番地先路上
(3) 加害車 普通乗用自動車(千葉五九ゆ六一三三)
右運転者 被告並木
(4) 被害者 普通乗用自動車(千葉五九め五二九九)
右運転者 原告
(5) 態様 被告並木は、前記日時場所において、千葉市方面から幕張町方面に向けて加害車両を運転して進行中、前方に一時停車していた原告運転の被害車両に追突した。
(二) 被告並木の責任原因
被告並木は、加害車を所有し、自己のために運行の用に供していた。
(三) 損害
原告は、本件事故により、頸部、腰部捻挫の傷害を受け、桐原外科医院に昭和六二年一二月二六日から同六三年四月九日まで(うち実日数五四日)通院治療を余儀なくされ、次の(1)ないし(6)のとおり合計金二二二万二四一五円の損害を被つた。
(1) 治療費 金一九万八二〇〇円
(2) 休業補償費 金一五五万三四五五円
原告は、昭和六二年四月一二日から千葉市誉田町において「りら」の名称でスナツクを経営していたものであるが、本件事故により原告自身休業せざるを得なくなつたため、店の売上げは減少し、原告の所得は激減した。
ア 休業日数 九七日(昭和六二年一二月二六日から同六三年三月三一日まで)
イ 事故前一日当たりの所得 金一万九一二〇円
その所得額の根拠は、別紙所得一覧表(一)記載のとおりである。
ウ 事故後一日当たりの所得 金三一〇五円
その所得額の根拠は、別紙所得一覧表(二)記載のとおりである。
エ 損害額 金一五五万三四五五円
損害額は、前記アないしウから明らかなとおり金一五五万三四五五円となる。
(1万9120円-3105円)×97=155万3455円
(3) 慰藉料 金四五万円
原告が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉する額としては金四五万円が相当である。
(4) 弁護士費用 金二〇万円
原告は、被告並木に対し、本件事故による損害賠償金の請求をしたが、同人はこれに全く応じなかつた。そこで、原告は本訴提起を余儀なくされ、これを原告代理人弁護士本木睦夫、同小平恭正に依頼し、着手金として金二〇万円を支払つた。
(5) 控除額 金一七万九二四〇円
原告は、被告並木から本件事故の治療費として金一七万九二四〇円の支払を受けたので、これを前記損害額から控除する。
(6) そうすると、原告は、被告並木に対し、左記算式のとおり金二二二万二四一五円の損害賠償請求権を有していることになる。
19万8200円+155万3455円+45万円+20万円-17万9240円=222万2415円
(四) 被告会社の責任及び請求金額
(1) 原告は、昭和六二年一一月一四日、被告会社との間で、被害車両につき保険期間を同年一一月一四日から同六三年一一月一四日とし、保険金額の最高限度を対人賠償一名につき金八〇〇〇万円、搭乗者傷害一名につき金五〇〇万円なとどする自家用自動車保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(2) 本件保険の内容については、自家用自動車普通保険約款の定めるところによるとされているが、同約款第四章搭乗者傷害条項第一条には、被告会社は被保険自動車の「正規の乗用車構造装置のある場所に搭乗中の者」(被保険者)が被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被つたときは、搭乗者傷害条項及び一般条項に従い保険金を支払う旨の規定がある。
(3) 原告は、右約款第四章第一条所定の「正規の乗用車構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当し、被保険自動車の運行に起因する事故により負傷したものであるから、原告は通院治療日数五四日につき、一日当たり、保険金額の一〇〇〇分の一の割合で算出した金額に右実治療日数を乗じた額二七万円の保険金請求権を有している。
500万円×1/1000×54=27万円
(五) 結論
よつて、原告は、被告並木に対しては、自賠法三条に基づき金二二二万二四一五円及びこれに対する本件事故発生後である昭和六二年一二月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、また、被告会社に対しては、保険契約に基づき金二七万円及びこれに対する本件通院の日である昭和六二年一二月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(一) 請求原因(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実は認める。
(三) 同(三)の事実中、冒頭の事実については、原告がその主張どおり通院したことは認めるが、原告が傷害を受け損害を被つたこと及び因果関係については否認し、同(1)ないし(4)及び(6)は否認し、同(5)は認める。
本件事故の態様は、被害車に続いて加害車が広路に出て左折するため低速で進行中、被告並木が右方向確認のため右に目を移した後、前方を見ると、被害車が停止したので急拠制動したが間に合わず、極めて軽く加害車前部バンパーが被害車後部バンパーに接触したものであり、車両自体双方とも何らの損傷が発生しなかつたことからも明らかなとおり、その衝撃は極めて微少であつた。そして、原告は、頸椎、腰椎のレントゲン所見は異常がないのに、もつぱら原告の愁訴に基づきそれに対応した投薬、処置が施されているだけであり、真に負傷したか否かは疑わしい。結局のところ、このような事故の態様から原告の主張するような傷害は発生していない、というべきである。
(四) 同(四)の事実中、(1)、(2)の事実は認め、(3)の事実は否認する。
(五) 同(五)は争う。
二 反訴関係
1 請求原因
(一) 本件事故の発生。その内容は、本訴請求原因(一)項と同一であるのでこれを引用する。
(二) 被告並木は、原告が本件事故により受傷したとして桐原外科医院に通院し支出した治療費のうち金一七万九二四〇円を、原告に支払つた。
(三) ところが、本件事故によつて原告が受傷したという事実は存在しない。
よつて、被告並木は原告に対し、不当利得を原因として、前記一七万九二四〇円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成元年三月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(一) 請求原因(一)、(二)の各事実は認める。
(二) 同(三)の事実は否認する。
原告は、本件事故により、頸部、腰部捻挫の傷害を負つた。被告並木の支払金は、右負傷に対する治療費であり、被告並木の請求は理由がない。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。
理由
一 本訴請求について
1 本訴請求原因(一)(本件事故の発生)及び(二)(被告が運行供用者であつたこと)各事実は当事者間に争いがない。
2 ところで、原告は、本件事故により頸部、腰部捻挫の傷害を負つたと主張し、被告らはこれを否認するので、以下この点について判断する(本訴請求原因(三)の当否)。
(一) 原告が本件事故の翌日である昭和六二年一二月二六日から同六三年四月九日まで桐原外科医院に通院して治療を受けたことは当事者間に争いない。
ところで、原告の症状及び治療の経過等は、成立に争いのない乙第一、第二号証の各一、二によれば、次のとおりであつたことが認められる。すなわち、原告には頸部、腰椎のレントゲン所見は異常がないなど他覚的所見は見当たらなかつたが、原告の方から頭痛、上腕の疼痛、シビレ感などが訴えられ、右愁訴に基づき、主として投薬による治療が施されている。
以上の治療経過に照らすと、原告に他覚的所見がないことの一事をもつて原告の身体に痛み等の症状がなかつたとすることはこれまでの社会一般の常識に照らし相当ではない。しかし、逆に、本件のようにもつぱら患者の愁訴に依拠して治療がなされているケースにおいては、医師が治療していることの一事をもつて、原告が実際に受傷していたと認めるのが相当でないこともまた一般の経験の知らしめるところである。結局、前記のような治療の経過からだけで、原告が受傷したか否かを判定することは相当ではなく、本件事故の態様、原告の本件事故に対するこれまでの取り組み方等本件に顕れている一切の事情を考慮して判断するのを相当と考える。
(二) 本件事故の態様
成立に争いのない甲第一号証、第八号証、撮影の対象物については当事者間に争いがなく、撮影日時、撮影者については弁論の全趣旨により真正に作成されたと認められる乙第八号証の一ないし三、原、被告各本人尋問の結果(ただし、後記認定事実に反する部分は除く)によれば、次の事実が認められる。
本件事故が発生した現場付近の状況は別紙交通事故現場見取図(以下「本件図面」という。)のとおりである。原告は畑町の方向から習志野方面に向かつてやや上り勾配の道を進み、本件図面の交差点を左折しようとして、手前の停止線、すなわち〈2〉で停止した。原告の後を進行していた被告並木も、これに続いて停車した。原告は、更に車を進行させ、次の停止線、すなわち〈ア〉で停止し、左折すべく右方を確認していた。被告並木も右交差点を左折すべく右方からの車を確認しながら車を発進させ、本件図面〈1〉の地点で、同図〈ア〉の地点に停車している被害車を発見し、制動の措置をとつたが間に合わず、被害車の後部バンパーに加害車のバンパーをあててしまつた。
ところで、加害車と被害車は前記の態様で接触したが、両車には共に何らの損傷もなかつた。このため、事故後数日して原告、被告並木は本件事故を警察に報告し、現場検証をしてもらつたが、その際、両車に何の損傷もなかつたことから、被告並木は警察官から原告と共謀して保険金詐欺をやつているのではとの嫌疑をかけられ、厳しく詰問された。
以上のような事故態様から判断すると、加害車はごく低速で、上り勾配の道を進行中、被害車に軽く接触したと認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
(三) ところで、成立に争いのない乙第九号証及び弁論の全趣旨によれば、(一) 人体の傷害程度は作用エネルギーの大きさに比例し、傷害発生にはある一定量以上のエルネギーが必要であるといわれていること、(二) 自動車事故の場合、衝突エネルギーの大きさは車体変形として残り、事故解析上の重要な資料となること、(三)ロ金沢大学医学部の永野教授、前田講師が北陸三県における追突事故例四一例を調査、分析した結果によると、乗用車同士の追突事故において後部バンパーが二センチメートル以下の凹損では受傷しないとの結果であつたことが認められる。
以上によれば、前記のとおり本件事故では両車とも全く損傷はなかつたのであるから、通常であれば、原告は受傷しなかつたと推認するのが相当である。しかし、前掲乙第九号証及び弁論の全趣旨によれば、右の推認はあくまでも一般的な例であり、事故の態様は様々で、衝突時の人体の動きは非常に複雑であり、作用エネルギーに対する耐性にも個人差があつて、画一的に車体の変形からだけで結論を導くことは危険であることが認められる。そうだとすると、両車とも全く損傷がなかつたということは被告らに有利な事情ではあるが、しかし、それからだけで、原告が本件事故で受傷しなかつたという結論を導くことは相当ではなく、今なお、その他の事情を慎重に検討する必要があると思われる。
(四) 原告の矛盾ないし不自然な点等
(1) 原告本人の供述によれば、被害車と加害車が衝突した際の状況につき、「ものすごく大きな音、ガシヤンというかドスンという音がして、私の首は一旦前へ、それから後ろのヘツドレストにぶつかり、さらにまた前にと衝撃を受けました。」と供述しているが、前記のとおり被害車、加害車とも何らの損傷がなかつたことに照らすと、原告本人の供述には不自然さが残る。
(2) また、原告本人尋問の結果によれば、(一) 原告はシートベルトをして被害車両を運転していたこと、(二) 助手席には子供を乗せていたが、子供は本件事故により怪我らしい怪我はしておらず何らの治療も受けていないことが認められる。そうだとすると、子供に比較して原告の主張する受傷は余りにも大きく不自然さが残る。
(3) 原告本人尋問の結果によれば、(一) 原告は、本件事故当時、慢性肝炎に罹患しており、体が疲れやすく、神経痛のような症状があつたこと、(二) 本件も慢性肝炎の検査のため病院へ行く途中の事故であつたこと、(三) 原告は、本件事故後今日に至るまで慢性肝炎の症状が続いており、現在も慢性肝炎の薬を服用していることが認められる。
(4) 前掲乙第一、第二号証の各一、二、原告、被告並木各本人尋問の結果(ただし、後記認定事実に反する部分は除く。)によれば、(一) 本件事故直後、被告並木は原告に対し、「傷もないし、怪我もないようですが大丈夫ですか。」と尋ねたところ、原告は「何もないですよ。」と答えた。そして、原告は、被告並木の名前もまた加害車の車両番号をメモする素振りも見せず、警察への届出もしないまま、事故現場を離れたこと、(二) 本件事故により、加害車、被害車共に何らの損傷を受けていないのに、原告は、負傷部位は頸部だけでなく腰部にまで及んでいるとして治療を受けているが、車への影響に照らすと、負傷部位は広範囲すぎ不自然さが残ることが認められる。
(5) また、原告は、本件事故により経営していたスナックで働くことができず、このため利益が激減し、金一五五万三四五五円の損害を被つたと主張し、その損害額は本訴請求金額の約七割を占めている。
ところで、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に作成されたものと認められる甲第五号証の一ないし三三、第六号証の一ないし一九、第七号証の一ないし六によれば、(一) 原告の店の売上げの主力は酒で占められているところ、本件事故前の酒の仕入れ額は、昭和六二年四月から一二月までの間一か月平均約七万七五三八円であつたのが、原告が休んでいた同六三年一月から同三月までの間は一か月平均約九万二二〇五円と増加していること、(二) また、同様に、お客が酒を飲む際使用するロツクアイスについても、昭和六二年四月から一二月までの間は一か月平均約五四〇〇円であつたのが、同六三年一月から三月までは一か月平均約五九三三円と増加していること、(三) 原告は同人が休んでいる間利益が激減したといつているが、そうであるならば、殊更新規に女性を雇い入れて営業するまでのことはないように思われるのに、原告が休んでいる期間新親に女性を一人採用し、原告の夫及び女性二人で営業を続けていたこと、(四) 原告は、同人が仕事を休んでいる間利益が激減したといつているが、これを託するに足る客観的資料、すなわち、税務申告書等を一切出そうとしないこと、以上の各事実が認められる。そうだとすると、原告の損害の中核をなしている、休業中の損害自体、真に発生しているのか否か、極めて疑問と思われる。
(五) 当裁判所の判断
前記(四)の(1)ないし(5)で見た本件事故についての不自然等に、前記(二)、(三)の本件事故の態様からみた原告の受傷する可能性の低さ等を勘案すると、原告が本件事故により頸部、腰部捻挫の傷害を負つたと認めることは困難というほかない。そうだとすると、原告の本訴請求は、その余の判断をするまでもなく失当として棄却を免れない。
二 反訴請求について
反訴請求原因1(本件事故の発生)及び2(被告並木の原告への金員の支払)の各事実は当事者間に争いない。そして、前記本訴請求についての検討から明らかなとおり、原告が本件事故により受傷したと認めるに足る証拠はないことが認められる(請求原因3)。そうだとすると、被告並木は、原告に対し、法律上本来支払うべき義務のない金員を支払つていたことになり、その返還を求める反訴請求は理由があることになる。
三 結論
以上から明らかなとおり、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、被告並木の反訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 難波孝一)
(所得一覧表 事故現場見取図 略)